2018.05.13 Sunday 13:07

気になる映画 ザ・スクエア

From Wired  Stroy  13th May 2018 

TEXT BY HIROMI SUZUKI より抜粋

 

 

『ザ・スクエア』で設定された極めつけの失敗とは、現代アートに共感と理解を示す“文化人”が、現実に翻弄されて冷静さを失い、エゴに支配された野蛮な本心をあらわにする瞬間の数々だろう。建前と本音のギャップはあまりにも滑稽だ。

そのさまを観ていると、われわれが日ごろ自負している「優しさ」や「思いやり」など、一瞬で吹き飛ぶほど薄っぺらく、偽善的な虚飾にすぎないのではないかと思わされる。

 

「優しさ」という偽善、「弱さ」という本能

人を助け、許し、信じ、愛せるだけの強さをもちたいと願いながら、いざとなるとすくんでしまう──。そんなふうにわれわれは、他人よりも誰よりも、自分自身によって裏切られ続ける。その根源にある、弱さとしか言えないような態度は、しかし、オストルンドによれば生存本能なのだという。

「生存本能のスイッチが入ると、文化なんて消し飛んでしまうんだ。ぼくらは自分の行動を自分でコントロールすることなんか、できないのかもしれない。でも、恐怖が過ぎ去ってわれに返ると、再び文化を取り戻す。それが『面目を失う』という感覚、つまり『恥』だよ。この恥が生存本能を上回って、自殺してしまう人もいるよね。動物のなかで人間だけがもつ普遍的な感覚だと思う」

恥の感覚は、日本と北欧の文化で特に似ている部分だとも言い、言葉を選びながら、こう続けた。

「そういう意味では、偽善的であろうとすることも、人間である証拠なのかもしれない。『こうありたい』という理想の自分がいるわけだからね。ときには自分たちの文化に則って知的に振る舞い、うまくそんな人間になれることもあるし、ときにはなれないこともあるんだよ」

 

それでも誰かを信じるために

オストルンドの考えでは、人間は模倣する生き物だ。悪いニュースを目にすればするほど、その内容に従うかたちで言動を変えてしまう。ところが、メディアは広告主にクリック数の多さをアピールすることばかり考えている。ジャーナリズムがもち合わせているべき倫理観を手放し、注目を集めるためにセンセーショナルなニュースばかり流すようになっているのではないか──。

ぼくに言わせれば、ニュースが不信を生み出しているんだ。『読者の知る権利』とか『世間の関心が高いから』とか言って、争いや対立ばかり記事にしている本能に何度も裏切られ、たとえ再び偽善に終わるとしても優しくあろうとし、「理想の自分」と「失敗だらけの現実」のはざまをさまよう恥ずかしい存在──そんなわれわれが、このあけすけだが肝心なことはよく見えない社会で、他者を信じ、自らを委ね合うには、いったいどうすればよいのだろう

「信頼は親から子へと語り継いで、次の世代に伝えてゆくものだと思う。『他人を信用したらいけない』と言えば、ぼくらは信頼できない社会をつくり出すことになる。だから、『他人というのは信頼できるんだよ』というメッセージを発するのは、信頼関係を築く上でとても重要なんだ。好ましくないものにばかり、“酸素を与える”のはよくない。

 


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