2017.06.28 Wednesday 14:08

本:僕は こう生きている 君はどうか

ぼくはこう生きている 君はどうか
2010/1/5
鶴見 俊輔 (著), 重松 清 (著)       
P144
重:
若い先生たちは教え子に語るべき自分の人生とか思いと言うものを持っていないから踏み込んでいかない。踏み込んでいかないから生徒が ”教え子” にならなくて ”生徒” のままでいる。だから遠い。お話を伺って思うのは、人生の重みのある言葉、話を聞くと言う事が、実は一番幸せな学び方なんじゃないかと思うんです。  
heepee:(笑)
まあ、若い先生たちは・・・と一括りなのがちと気になりますし(年齢に関係なく色々経験している先生も当然いるわけですから)今の学校の環境的にそれは難しいと言う現実も多々あります。でもだからこそ江戸時代からあった私塾的システム(学問だけではない)が必要ではないかとも話しておられます。 カナダでは home teaching なるものがかなり浸透してきていますが、似たような行き詰まりを多くの親が感じたからではないでしょうか。
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P110
鶴:
30年後、看護師になった ”ひこうき雲” の主人公は、当時は人の死と言うものがどんなに重く、悲しく、悔しい事なのか、その意味を想像できなかったと後悔し、終末医療にかかわっていて思うのは、”その日” を見つめて最後の日々を過ごす人は実は幸せなのかもしれない、と言うんですね。 ”自分の生きてきた意味や、死んでいく意味について、ちゃんと考えることができるから”と。
そして ”どんなに考えても答えは出ないけれども、考えることが答えなんだ。死んでいく人にとっても、あとに残される人にとっても” と。 これは凄いと思いました。
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P90
重:
多数決で ”賛成!賛成!” と言って押し切ってしまうという。今そういうかたちのいじめがずいぶんあるわけですが、一人になる事は恥ずかしいことだ、弱いことだという考え方植え付けられた背景に、実はその”多数決!”と言うのがあったんじゃないかと言う気がするんです。
鶴:
明治以前ですとね、例えば ”村八分” と言うのがあったでしょう。あれは非常に遅れたものだというふうに戦後民主主義は考えた。だけどあれは西洋の魔女裁判に比べると相当に立派なことなんですよ。
重:
火あぶりですからね魔女狩りは・・・。
鶴:
”村八分は” というのは排斥するけれども、”2分” は残すわけです。2分は田んぼの水利から外さない事、それと葬式には手伝う事。だから西洋の魔女の扱いとは随分違うんです。
英国では選挙に負けた時 ”我々は少数派だ。しかし大きな少数派だ。”という考え方がある。
少数派は大きな影響力を持っていて、多数派になったからといって何でも自由にやれると言うんじゃないんです。 そういう村八分とか少数派に対する考え方と、左右に関係なく、頼りになる人間と頼りにならない人間を見分ける力--、この二つが明治の半ばから欠如しちゃったんですよ。それが問題なんです。

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