2018.07.06 Friday 22:41

本:アンマーとぼくら

 

締め切りが迫ってきている時に限って、余計な掃除をしたり、食べ物を買いに行ったり・・・・今、読まなくてもいい本を読んだり・・・・学生のころから進歩全くゼロ。 今夜も遅くなりりそうです(;^_^A

 

アンマーとぼくら 単行本 – 2016/7/20


2018.05.13 Sunday 13:07

気になる映画 ザ・スクエア

From Wired  Stroy  13th May 2018 

TEXT BY HIROMI SUZUKI より抜粋

 

 

『ザ・スクエア』で設定された極めつけの失敗とは、現代アートに共感と理解を示す“文化人”が、現実に翻弄されて冷静さを失い、エゴに支配された野蛮な本心をあらわにする瞬間の数々だろう。建前と本音のギャップはあまりにも滑稽だ。

そのさまを観ていると、われわれが日ごろ自負している「優しさ」や「思いやり」など、一瞬で吹き飛ぶほど薄っぺらく、偽善的な虚飾にすぎないのではないかと思わされる。

 

「優しさ」という偽善、「弱さ」という本能

人を助け、許し、信じ、愛せるだけの強さをもちたいと願いながら、いざとなるとすくんでしまう──。そんなふうにわれわれは、他人よりも誰よりも、自分自身によって裏切られ続ける。その根源にある、弱さとしか言えないような態度は、しかし、オストルンドによれば生存本能なのだという。

「生存本能のスイッチが入ると、文化なんて消し飛んでしまうんだ。ぼくらは自分の行動を自分でコントロールすることなんか、できないのかもしれない。でも、恐怖が過ぎ去ってわれに返ると、再び文化を取り戻す。それが『面目を失う』という感覚、つまり『恥』だよ。この恥が生存本能を上回って、自殺してしまう人もいるよね。動物のなかで人間だけがもつ普遍的な感覚だと思う」

恥の感覚は、日本と北欧の文化で特に似ている部分だとも言い、言葉を選びながら、こう続けた。

「そういう意味では、偽善的であろうとすることも、人間である証拠なのかもしれない。『こうありたい』という理想の自分がいるわけだからね。ときには自分たちの文化に則って知的に振る舞い、うまくそんな人間になれることもあるし、ときにはなれないこともあるんだよ」

 

それでも誰かを信じるために

オストルンドの考えでは、人間は模倣する生き物だ。悪いニュースを目にすればするほど、その内容に従うかたちで言動を変えてしまう。ところが、メディアは広告主にクリック数の多さをアピールすることばかり考えている。ジャーナリズムがもち合わせているべき倫理観を手放し、注目を集めるためにセンセーショナルなニュースばかり流すようになっているのではないか──。

ぼくに言わせれば、ニュースが不信を生み出しているんだ。『読者の知る権利』とか『世間の関心が高いから』とか言って、争いや対立ばかり記事にしている本能に何度も裏切られ、たとえ再び偽善に終わるとしても優しくあろうとし、「理想の自分」と「失敗だらけの現実」のはざまをさまよう恥ずかしい存在──そんなわれわれが、このあけすけだが肝心なことはよく見えない社会で、他者を信じ、自らを委ね合うには、いったいどうすればよいのだろう

「信頼は親から子へと語り継いで、次の世代に伝えてゆくものだと思う。『他人を信用したらいけない』と言えば、ぼくらは信頼できない社会をつくり出すことになる。だから、『他人というのは信頼できるんだよ』というメッセージを発するのは、信頼関係を築く上でとても重要なんだ。好ましくないものにばかり、“酸素を与える”のはよくない。

 


2018.02.16 Friday 11:44

本:友人のお薦め

そう言えば最近、複数の友人から本を薦めてもらいました。

 

読む本の多くは自分の好みだけで選ぶものが当然殆どですから、ジャンル的に見ると本そのものの質とはあまり関係なくかなり偏りがちです。でも友人が薦める多くは、恐らく自分からは進んで手に取らないであろう本が大半で、毎回良い意味で意外な出会いを提供してくれます。世代や性別などによって同じものを読んでも感じ方や受け取り方が異なるはずですが、その違いを読書後、あーだこうだと確認する作業がまた何とも楽しいといいますか。その微妙な違いと、そもそもその本を”わざわざ読んでそして薦めて”くれたと言うところで、その友人たちの普段気が付かなかった些細な事や、少し奥深い部分に秘めているような内面的なものも見えるような気がして、彼、彼女により一層親密感を抱くような気もします。 

 

 

さて世代を超えると言う意味では自分の趣味範囲内では山、自転車、音楽、映画?があるのですが、いつでもどこでも”そこに戻れる”と言う意味では本(kidleじゃなくて!質感を伴ったできれば単行本)は言葉の壁があるのも事実ですが、日々の生活に視点を置いた場合、ちょこんと抜き出ている部分があるような気がしてます。  

 

で、まだ読んでないのですが、昨日十代後半の友人薦めてもらった一冊は明治ガールズでした。海の見える理髪店は70代、40代からは君の膵臓を食べたい、そして20代からは凍りのくじらでしたが、色々比較が出来そうです。 ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2018.02.15 Thursday 23:18

本:海の見える理髪店

 

K先生に薦められて読んでいます。文章も設定も勿論面白いのですが、感情移入して少々凹みます。

同じ職業の人が身近にいるのですが、色々聞きたい事ができました。

 

 


2018.01.09 Tuesday 14:12

本:ふがいない僕は空を見た 続き

作品の中に込められたメッセージの中には、こんなものもありました。

 

*ふがいない僕は空を見た P-198より

 

自然、自然、自然、ここにやってくるたくさんの産婦さんたちが口にする、自然という言葉を聞くたびに、私はたくさんの言葉を空気とともに飲み込む。 彼女たちが口にする自然、という言葉の軽さ弱さに、どうしようもない違和感を抱きながら、私はその気持ちを言葉に表すことができない。 乱暴に言うなら、自然に産む覚悟することは、自然淘汰されてしまう命の存在をも認めることだ。 彼女たちが抱く、自然という言葉のイメージ。オーガニックコットンのような、ふわふわで柔らかく、はかないもの。 それは間違ってはいないのだろうけれど、自然分娩でも、高度な医療機器に囲まれていても、お産には温かい肉が裂け、熱い血が噴き出すような出来事もある。 時には、母親や子供も命を落とす。 どんなに医療技術が発達したって、昔も今もお産さんが命がけであることは変わらないのだ。

 

 


2018.01.08 Monday 11:38

本:ふがいない僕は空を見た  窪 美澄

 

近所の図書館に ”少し前のベストセラー” なるコーナーがあります。

 

流行に疎い自分でも(あっ、実は家にテレビがありません(;^_^A)このコーナーに行くと今っぽい本と自動的に出会えるとても便利な場所。本屋ではまず手に取らない物にも自然に目が行く点でも重宝してます。 作家に関しても予備知識ゼロが大半で、殆んどジャケ借り?と言いうか、ハードカバーならではのデザイン性を生かした本を適当に選ぶのが常ですが、それがちょっと楽しいと言いますか。

 

コーナンで植物を買う際は、散々スマホで育て方とか、庭の環境に対応できるのか、簡単に増やさえるのか等々、いちいち調べる癖に、”タダで”借りれる本だと殆ど無頓着。やっぱり貧乏くさい・・・・(;^_^A

 

で、明るい雰囲気のジャケットとタイトルからすがすがしい青春もんかなと気軽に借りて( ゚Д゚)!! 初めからいきなりエロ炸裂で、一瞬えっ?!ナっコレ?!(吸い込んだ空気が出口を失った灰の中で停滞してしまう感じ)ただのそういう小説か?と驚きつつも(当然読み進む)気が付くとどんどん読んでしまう羽目に。

 

 

 

まあ、このカバーでポンっ!とそれこそ幼稚園児でも手に取れる位置においてあるのですが、本屋さんではこういうカバーが付いているわけで・・・全く思いっきりやられました。本屋にあったら恥ずかしくて手にも取れないかもなぁと思うと笑ってしまいます。その、表紙の雰囲気だけならちょぴり君の名はちっく?
ここまで帯にしっかり書かれていると分かりますよねぇ・・・
内容は・・・ネタバレになるので言えませんが、全体的に突っ込みどころが少なく十二分にあり得る微妙な設定といいますか、実際に体験しているのではないかと思うほど描写も細かくリアルで(こう書くと緻密に書かれたただのポルノ小説かい!とか思われるかもですが、全く違いますので・・・)それぞれが大きな問題を抱えながら (多くの場合選択余地もないまま、純粋であるが為、弱い立場であるが為、年齢故に情報が不足しているが為、親の悪影響でまともに生活が営めない為、ずるずると深みにはまってしまう) 必死にもがく様は決して人事では無く、目を凝らせば自分の周りにも(もしくは自分自身も)必ずある話で緊張感失くして読めるものでは無かったです。 社会が個人に対してかける圧力に押しつぶされてしまう様子が垣間見れるわけですが、多くの場合、味方であるはずの身内からもえぐられるために本当に行き場所を失ってしまう。その果てには何があるの?(一度の失敗でも)敗者復活を拒むかのような社会構造と周りの目。自分も反省しなければならない点があまりにも浮き彫りにされてかなり凹みました。が、最後はありがちなハッピーエンディングと言うわけではありませんが、心の隅にきちんと希望を残してくれるような巧みな終わり方を提供してくれているので救われたような気がします。多くのキャラが登場しますが、それぞれの話をもっと知りたいなと思わせる小説でした。

2017.09.04 Monday 22:53

本:人魚の眠る家 東野 圭吾

 

受け入れがたい ”とある問題” に対して生じるそれぞれの想い、そして対応。

家族のためにどのような行動をその時、自分はとるのか/とれるのか。取り巻く人々の反応、そして現在のリアルな医療体制とその根幹にかかわる法律から浮かび上がる日本独特の問題(”責任逃れ”という文化的背景による影響など)。そこから生まれる悲劇と葛藤。当事者でなければ理解しがたい状況を巧みな文章により疑似体験してしまうと言いますか・・・   

 

いきなり読者を引き込むテクニック。そして、”ああ、やっぱりフィクションだ” と思える設定が大きな部分で多少あっても、それらは、物語全体&各部分を構成する細部のディテールのリアルさ故に感情移入しまくって(良い意味で)苦しんで疲れた読者にほど良い安らぎを与えてくれるエンディングを提供してくれたかなと。 一気に読んでしまいました。

 

いつも表面的な情報のみで安直に判断しがちな自分は猛反省です。

もっと思慮深く、そして優しくありたいものですね。

 

 

 

他にも書きたい部分はいくらでもあるのですが、ネタバレになるので・・・でも、それにしても読み辛いですよねすみません。

 

P245

OXが現れるのを心待ちにするのだけはやめようと。少なくとも、決して口にはしないでおこうって。OXが現れたと言うことは、どこかでXXがYYくなったわけで、悲しんでいる人がたくさんいるに違いないですから。QQは善意と言う施しを受ける事であり、EEを続ける人たちをとやかくいう気はありません。だって、その親御さんにとっては、その子はKKているわけでしょう? だったら、それもまた大切な一つのTTじゃないですか。

 

 

P262

論理的には正しい行為にもかかわらず、なぜそそんなふうに感じてしまうのでしょうか。 それは人間は論理だけでは生きていけない動物だからです。・・・・・・・一番大事なのは、ご自分の気持ちに正直であることです。その人の生き方は論理的でなくともいいと思うのです。

 

 


2017.08.15 Tuesday 14:31

Ernest & Celestine

友人宅で良いアニメをみました。

 

種別、性別、年齢、文化、習慣など全てが異なる登場獣(?)物の理解、そして共存。

よくあるテーマではありますが、身近な動物たちをコミカルに扱うことにより、より分かりやすくストレートに伝わるものがあるような気がします。いずれにしても絵の雰囲気と適度に描かれた小物等や各設定のディテールがなんともいい感じです。

 

Ernest & Celestine

http://ernest.gaga.ne.jp/

 

 

と、よく考えたら彼の本持ってました・・・汗

泣ける犬の話です・・・。

 

 

アンジュール―ある犬の物語 大型本 – 1986/5/1

 

 

 

 

 

 


2017.07.27 Thursday 01:59

本:ふくわらい 西加奈子

 

少し前の西加奈子氏の小説。

タイトル、そしてその明るい絵本を連想させるようなカバーとは裏腹にその内容は結構(もちろん文字なんですが)グラフィックで小心者の自分は、やめようかぁと思いつつもやっぱり最後まで読んでしまいました。どこか”いやいや”ながらも結局続きがどうなるか知りたい・・・・まんまとはまってました。(;^_^A でも、きちんと理解するにはもう2回ぐらい読まないとダメな気がするので、また折を見てチャレンジしたいと思います。さくらしか読んでいなかったのでいろんな意味でびっくりでした。

 

 

 

P-222

 

定:

私には、ずっと友人と呼べる人がいませんでした。ずっと、ずっと。人と接することがどういことなのか、よく分からないし、友達がいないということがどいうことなのか、寂しいという感情がどいうものなのかさえ、よく分からないんです。でも何かが出来上がる瞬間、それを目撃することに、私は感動するんです。その時には寂しいだとか、嬉しいだとか、そういう、人間らしい、というのですか、そういう感情が、分かる気がするんです。言葉を、それを誰が作ったかのか分からないのですが、それらを組み合わせて、文章が出来る。誰かがそれをすると、私は、その誰かの感情を、なぞれるような気がするんです。

 

***

 

P-223

 

定:

私は、言葉をつらねて文章が出来る瞬間に立ち会いたい。それと同じように、目や鼻や口や眉毛が、どこにどうやって配置されて顔が出来るのか、その瞬間に立ち会いたいんです。

 

***

 

そうです。それが神の領域だというなら、私は神になりたい。顔はどうやって出来るのでしょうか。それがその人をその人たらしめているものは、何なのでしょうか? 無意識のうちに定は、指先を動かしていた。 それは幼いころからずっと、やり続けてきた行為だった。 目や、鼻や口や、眉毛を、思うとろこに、思うままに置くのだ。幼い頃だけではなかった。厚い壁に囲まれていた今まで、一人でずっと、やり続けてきた行為だった。(ここからはネタバレになるので書けません!っ十分ネタバレれかなぁ・・・)

 


2017.07.26 Wednesday 00:36

本:走ることについて語るときに僕の語ること 村上春樹 (7月6日分に追加)

P-34

 

他の人には他人の価値観があり、それに添った生き方がある。僕には僕の価値観があり、それに添った生き方があり、そのような相違は日常に細かなすれ違いを生み出すし、いくつかのすれ違いの組み合わせが、大きな誤解へと発展していくこともある。その結果故のない非難を受けたりもする。当たり前の話だが、誤解されたり非難されたりするのは、決して愉快な出来事ではない。そのせいで心が深く傷つくこともある。これはつらい経験だ。

 

しかし年齢をかさねるにつれて、そのようなつらさや傷は人生にとってもある程度必要なことなのだと、少しずつ認識できるようになった。考えてみれば他人といくらかなりとも異なっているからこそ、人は自分というものを立ち上げ、自立したものとして保っていくことが出来るのだ。僕の場合で言うなら、小説を書き上げることが出来る。一つの風景の中に他人と違った様相を見てとり、他人と違う事を感じ、他人と違う言葉を選ぶことが出来るからこそ、固有の物語を書き続けることが出来るわけだ。そして決して少なくない数の人々はそれを手に取ってよんでくれると言う希有な状況も生まれる。僕が僕であって、誰か別の人間でないことは、僕にとってひとつの重要な資産なのだ。心の受ける生傷は、そのような人間の自立性が世界に向かって支払わなくてはならない当然の代価である。

 

 

P-36

 

誰かに故のない非難を受けた時、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。いつもより長い距離を走ることによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りがある、弱い人間だということをあらためて認識する。一番底の部分でフィジカルに認識する。そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体を、ほんのわずかではあるけれど強化したことになる。腹が立ったらその分自分にあたればいい。悔しい思いをしたらその分自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。黙って吞み込めるものは、そっくりそのまま自分の中に呑み込み、それを小説という容器の中に、物語の一部として放出するようにつとめてきた。

 

 

P-58

 

人生にはどうしても優先順位と言うものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかと言う順番作りだ。ある年齢までに、そのようなシステムを自分の中にきっちりこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、めりはりのないものになってしまう。まわりの人々との具体的な交遊よりは、小説の執筆に専念できる落ち着いた生活環境を優先したかった。僕の人生にとってもっとも重要な人間関係とは、特定の誰かとのあいだというよりは、不特定多数の読者との間に築かれるべきものだった。

・・・・’皆にいい顔は出来ない’ 平たく言えばそう言う事になる。

 

 

 


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